鎌倉 万福寺。 満福寺

満福寺(鎌倉)の行き方と観光の見どころを紹介しています

万福寺 鎌倉 万福寺 鎌倉

✔ 一の谷 、屋島、壇ノ浦と次々に平家の軍を破って、平家を滅ぼすという大手柄を立てた源義経であったが兄・ とは方針が合わず、元歴2年 1185 5月、は平家の捕虜を同行し 兄・ に面会するために、京から鎌倉へ向かったが、 は義経を鎌倉に入る事を許さなかった。 思わず、えっ?寺のトイレの前にも「義経公の手洗井戸」 満福寺の境内の裏にはお手洗いもあったのですが、なんとお手洗いの場所にも「義経公手洗の井戸」という碑が。

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更に境内を歩いてみると、義経と弁慶が腰越状を書くにあたり、硯の墨用の水を汲んだという池も。

鎌倉時代を歩く・・腰越 満福寺

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😋 ここは一見したところ小さなお寺ではありますが、はるか昔、源義経と弁慶がここに留まり、歴史に名高い「腰越状」を書いた場所だと伝えられています。 しかなく は腰越の満福寺に逗留し、元歴2年 1185 5月24日、義経は一通の嘆願状()を書き、 の信望の厚かった公文所別当・に差し出し申し開きをするが、それも空しく、ついに鎌倉の門は開かれなかった。 泊まったところは寺と隣接した別の建物で、ストーブにエアコンもある暖かいお部屋で、とてもきれいな和室でした。

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満福寺について 奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、聖武天皇にこの病気を排除するよう命ぜられた行基が、鎌倉へきて、前に広がった海原と後ろの山並みがとても美しいこの場所で祈りをささげると不思議に病気がおさまったといわれ、功徳をたたえてここに寺を建てることにしたといわれる。

満福寺|鎌倉ツリープ

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🐾 「弁慶の腰掛石」。

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今年の大河ドラマも義経ですし。 満福寺には腰越状の他にも弁慶の手玉石や弁慶の腰掛石、義経手洗いの井戸など義経にまつわる旧跡が多くあります。

満福寺

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✊ 吾妻鏡に載っている腰越状の内容を要約すると...平家を滅ぼした功績を訴え、讒言した者の言葉だけを聞き面談さえ出来ない立場を嘆き、赤子の時から辛酸を味わった肉親の情を語り、五位の尉に任じた源氏の栄誉を述べた上で一切の野心を持たず頼朝の子々孫々まで護る事を誓っている。 雑誌も置いてあり「サライ(鎌倉特集)」や「週間義経紀行(腰越状)」等、満福寺さんが掲載されているので興味深くみせていただきました。

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山門をくぐって境内へ。

鎌倉時代を歩く・・腰越 満福寺

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☘ 左: 腰越漁港のある小動岬が片瀬東浜(江ノ島側)と七里ガ浜の境界。

そしてすぐ隣の金の大黒様の笑顔との落差がすごい。 この鎌倉の中の漁師町とも言えるエリアの一角には小さなお寺があります。

満福寺

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☭江ノ電の踏切を越えて満福寺の山門へ。

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うちは高齢者がいたのでタクシーで行きました。

満福寺(神奈川県 腰越駅)の宿坊【くちコミ付き】

万福寺 鎌倉 万福寺 鎌倉

❤ 怪力と言われた弁慶が手玉にとった石のようですが、確かに大きくて重そう。

いずれも、わざわざ見る程の品ではない。 左: 寺伝に拠れば開基は 、漁民の願いを容れ天平十六年(744)に建立した、と。